女性が何も言わなくなったら終わりという投稿を、
SNSで見かけることがあります。
確かにそれは一理あると思いますが、
真実の愛を学んでいる私に言わせれば、
何も言わなくなってからが、
本当の愛の道に入るように思っています。
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あれこれ言うのは、こうあって欲しいと願う、
相手への期待であり、欲求。
逆に言えば、期待を持っているから、
あれこれ言うのです。
でも、何を言っても通じないことが判れば、
次第に相手に対しての関心や執着が薄れて、
好きかどうかもわからなくなったり、
一気に気持ちが冷めて、
どうでもよくなることもあるでしょう。
何故なら、人を好きになるということは、
少なからず、そこに執着があるから。
でも、執着を手放した先に、愛が残っていたとしたら。
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健全なパートナーシップは、
お互いに相手の意見を受け入れて、
理解しながら、歩み寄ることが出来ます。
でも、何を言っても通じなければ、
話し合いも出来ず、関係性を改善することも出来ません。
何も言えない関係性など、
真実のパートナーシップとは言えないし、
そんな相手でいいのかも判らなくなります。
はっきりとしない、健全とは思えない関係の中で、
自分ばかりが辛いように思える日々。
止めどなく溢れる想いや葛藤を飲み込んで、
眠れない夜を延々と繰り返し、
まるで生き地獄のような日々の中で、
夢も希望も失い、次第に欲求も執着も失えば、
多くの場合、それで関係は終わります。
でも、どんなに欲求や執着を手放しても、
想いを消すことが出来なければ、
それは、本当の愛かもしれません。
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運命の愛とは、時に残酷です。
通じ合うことの出来ない関わりの中で、
真実の愛が何であるのかを学ぶようになっているからです。
何も言えなくなっても、関係を続けたいと願えば、
相手を受け入れるしかありません。
ツインレイの道を歩む人の多くが、
長い年月の中で、幾度となく言葉を飲み込んできたと思います。
それでも相手を思い、理解して受け入れていく。
到底、愛が無ければ出来ないことです。
女性が何も言わなくなって終わるのであれば、
そこまでの思いだったということ。
ツインレイの道は、何も言わなくなってからが、
真実の愛を体験する、
本当のはじまりと言えるかもしれません。
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